終戦後80年をむかえて(令和7年8月1日 総長談話)
1945年(昭和20)8月15日、太平洋戦争は日本の無条件降伏をもって終結しました。軍人民間人をあわせての犠牲者は日本人だけでも300万人を超えるとされます。今年は戦後80年の節目の年。世界平和も夢ではないという一時の想いも虚しく、大国主義のもと第3次世界大戦を予想する向きすらあります。
悲惨な戦争を実際に体験し、語ることができる先人が次第に減っていく現在、戦禍のもとで「尊い命」を失われた方々へ衷心より哀悼の誠をささげ、戦争を2度と繰り返さないという決意と努力が、今を生きている私たちに課せられた最大の使命と言っても過言ではないでしょう。
そのためには戦争時の抑圧された政治的社会的状況下にあって、積極的にせよ、消極的にせよ、「戦争」を容認してしまった個々人の「心の営み」や「行動」をめぐっての分析と批判的考察が何よりも必要と思っています。しかしながらそのような複雑かつ困難な営為が、戦前?戦中はもとより、誠に残念ながら戦後においても一部の人々を除けば、ほとんど「おざなり」であったように思います。そしてこのことは我が駒澤大学においても変わりないように思います。
いったい戦時下の駒澤大学の動向については、『駒澤大学百年史』に関連する記述があります。たとえば「日本文化講義」の名の下に坐禅を必修とし、動静一如、武禅一味など、国家権力の求めるままに、さまざまな方法をもって軍国主義の高揚に加担した事実が伝えられます。
誠に遺憾なことですが本学の建学の理念として長く伝えられてきた「行学一如」や「信誠敬愛」も、こうした牽強付会的な文脈で使われてきたことを否定できません。『百年史』は「駒澤大学の教練は大学中でも最優秀というレッテルが貼られるほどであった」とも記します。さまざまな史料を勘案するなら、その実態は記録される以上であったことは疑いありません。このような歴史的事実は、当時、本学の教育に関わった教職員も学生も、一方では建学の理念の根幹である「仏教?禅」の教えを講じ、また学びつつも、--そこにさまざまな葛藤があったことは想像に難くないにせよ--結果的には眼前に繰り広げられる戦争の悲惨さから目を背け、「現実」と「教え」とを安易に結びつけてしまったことを物語っています。
言うまでもなく「仏教」は、心の安らぎを得るため、まず「戒」*を持つべきことを求めます。部派仏教*は「殺生」を教団追放の重罪(波羅夷罪)の第3に挙げ、また「悉有仏性」*を旗幟とする大乗仏教*は十重禁戒の第1に「不殺生戒」を定めて、出家、在家ともに持つべきとします。
佛の言わく、佛子、若自ら殺し、人に教えて殺さしめ、方便して殺すことを讃歎し、作すを見て随喜し、乃至、呪して殺さば、殺の因、殺の縁、殺の法、殺の業あり。乃至、一切の命ある者は、故らに殺すことを得ざれ。是れ菩薩は、応に常住の慈悲心、孝順心を起し、方便*して一切の衆生を救護すべし。而るに自ら心を恣にし、意を快くして殺生せば、是れ菩薩の波羅夷罪なり。 『梵網経』
大乗仏教は「不殺生戒」を冒頭に位置づけることにより、自分だけでなく、あらゆる存在の「かけがえのない命」を尊ぶべきことを強く主張します。
このように仏教徒としての基本的な生き方が示されているにも関わらず、殺生の極みである「戦争」を認め加担してしまったという歴史的事実を、私たちは深刻に受け止めなくてはなりません。
私たちは、単に過去の過ちを批判するに止まってしまうのではなく、自分が「今を生きている仏教者」として、「縁起」*の教えを学び実践する「智慧と慈悲」を常に忘れることなく、心の平和とともに世界の平和のために「自未得度先度他」*の誓願をもって己の身を処し精進していくべきではないでしょうか。
2025年(令和7)8月1日
駒澤大学
総長 永井 政之