心の風景を描く『源氏物語』の世界
高橋 文二 名誉教授
京都の風土や自然に触れ平安朝の文学に興味
もともと私は地方の寺の出身ですが、父が駒澤大学の漢文?詩偈(しげ)の教員で、家も大学の近くにありましたから大学の隣の駒沢オリンピック公園(当時はイモ畑)の周辺でよく遊んだものです。駒澤大学の総長だった水野弘元先生は隣にお住まいで、仏教学者の中村元先生のお宅も近くでした。そんな御縁もあって駒澤大学に入りましたが、古典文学にひかれ、熱心に学ぶようになったのは京都大学の大学院に行くようになってからです。
大学院生のころは下鴨神社のすぐそばに下宿し、京都の風土や自然、人情に触れるうち、古典文学、とりわけ『源氏物語』や『更級日記』などの平安朝の文学に魅力を感じるようになり、『源氏物語』などに描かれた自然描写や心理描写を考察することで、平安京に生きた作者たちの心の内、自然観や人間観、宗教観を探ろうと考えるようになりました。
自然と共鳴しながら心理を描く王朝文学
平安朝の、とりわけ女流文学のように、細かい微妙な形で自然と共鳴しながら人の心理を描くというのは、世界の文学にも例の少ないことだと思います。
私自身、自然が好きで、中でも温暖の地の樹木が好きです。クスノキなどの常緑樹は、私の遠い先祖は南から来たのではないかと思うぐらい大好きです。人には未生以前の記憶があって、私の場合、サワサワと葉を揺らすクスノキを見るといいようもなく懐かしさを覚え、心が揺さぶられるのです。
平安朝の文学を読むときも、私自身の未生以前の記憶を大事にし、この国の風土や四季折々の風情を忘れまいという思いがあります。そういう心で作品に向かってこそ、自然との関わりの中で生き、表現した王朝人の理解にも繋がっていくと考えるからです。
「あくがるる心(魂)」は王朝女性の魂の救済
平安朝の女性たちの心を探るキーワードの一つに「あくがるる心(魂)」があります。和泉式部が貴船明神に詣でたときに詠んだ歌「もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれいづる魂かとぞみる」が「後拾遺和歌集」に収録されています。民俗学的には「あくがるる魂」は魂が乱れ、遊離していくから鎮魂しなければいけないものです。そこで貴船明神は、魂が飛び散ってしまうほどに思い悩んではいけないよ、と歌を返します。しかし、女たちの心にあっては、そんな病気のような状態でも、思い出に浸ることこそが、鎮めであり、救いでもあるのです。このように男たちの常識の枠を超えた、奥深い美的な精神世界が描かれているのが王朝文学の世界であると私は考えています。
瑞々しい感性から逆に学んだ37年間
駒澤大学には教員として37 年間お世話になり、教職員の皆さんとさまざまの縁えにしを結び、思い出は尽きません。また若い学生の皆さんと一緒に勉強し、合宿し、周辺の自然、風土を体感したりしたこと(平安文学研究会)も、豊かな体験として残っています。向学心?好奇心の旺盛な時期ですから、こちらからちょっと刺激を与えるだけでもものすごい反応が返ってくる。学生たちの感性の瑞々しさから私自身多くのことを学びました。
ゼミでよくやったのは用語、用例の調査です。たとえば『源氏物語』に「美し」という言葉がどれだけ出てくるか、誰に対して一番多く使われているか、というようなことを分類?分析したりすると、若い感性は必ず何か新しい発見をしてくる。それが楽しみでもありました。
在職中は体操競技部の部長も務めました。地方などでの競技の場に臨み、選手の皆さんの活躍ぶりに心うたれ、運動部の面白さ、楽しさを実感したこともよき思い出となっています。
- 高橋 文二 名誉教授
- 1938年東京生まれ。62年駒澤大学文学部国文学科卒業。1970年京都大学大学院文学研究科国語国文学専攻修士課程修了。72年より駒澤大学文学部講師。助教授を経て82年教授。図書館長、文学部長など歴任。文学博士。2009年定年退職。『風景と共感覚』『物語鎮魂論』など著書、論文多数。
※ 本インタビューは『Link Vol.5』(2015年5月発行)に掲載しています。掲載内容は発行当時のものです。