人工知能(AI)が社会に与える影響を、マクロ経済学を使って分析しているのが井上智洋先生。「人間とは何か」という問いを追いかけて、計算機科学から経済学にたどり着き、最近ではAIが普及した未来社会を構想しています。AIと人間が共生する生活について考えてみましょう。
仕事を効率化するシステムは、人を楽にするのか、人から職を奪うのか?
「人工知能が仕事を奪う」という話を聞いたことがありますか? オックスフォード大学の研究者は、2030年には雇用が現在の約半分になるといって10?20年後にコンピュータによって消滅する職業ランキングを発表し物議をかもしています。人間と同じような思考判断のできる人工知能が、人間の仕事をほとんど奪ってしまうと予想する研究者もいます。こうした問題は理系の技術者たちの議論でしたが、最近はビジネスマンの間でも話題となっています。
私の専門はマクロ経済学です。しかし、学生時代は計算機科学が専攻で、人工知能のゼミにも入っていました。当時から"人間とは何か"という哲学的なことに興味があって、 "意識とは何だろう?"ということから人工知能にも関心を持ったのです。
卒業して、しばらくはシステムエンジニアをしていましたが、あるとき「自分が作るシステムは本当に世の中の役に立つのか」、「経理システムを作ると、経理という職業はなくなってしまうのではないか?」と疑問を持ちました。そこで、その問題を経済学で考えてみようと大学院に入ったのです。ちょうど『機械との競争』というマサチューセッツ工科大学(MIT)の研究チームによる本にも出会い、雇用と人工知能の知識がカチッとつながった。以来、人工知能が経済に与える影響について注目しています。
ここで、「人工知能(AI)」について簡単に説明しておきます。人工知能は機械やロボットなどに搭載されたコンピュータ上で知的作業をするソフトウエアです。命じられた作業をする「特化型AI」と、人間の脳のように自分で思考判断する「汎用型AI」があります。最近、コンピュータが囲碁で世界のトップ棋士と対決して勝ちましたが、あれは"囲碁に特化した"AIです。iPhoneのSiriやGoogleの検索エンジンなど、現在、実用化されているAIは、すべて特化型AIと考えていただいて結構です。汎用型AIは各国が開発を競っていますが、いまだ完成していません。
生産の効率化で人手を減らす AIによる産業革命
では、AIは人間の職業をどのくらい奪うのか。特化型AIの普及が及ぼす影響を考えてみましょう。たとえば、セルフレジ。日本でも大手コンビニチェーンが2025年までに全店導入を発表しましたが、そうなるとレジ係は現状の半分以下になります。経理業務もアメリカではクラウド化が進んでいます。日本なら経理の仕事が減っても別の部署に異動できますが、アメリカでは即失業です。また自動運転は、日本政府が2020年までに実用化すると公表しました。自動運転が本格的に導入されても稼働している車全体の3%程度にしかならないという予測もありますが、タクシーや長距離輸送など稼働率の高いものが自動運転に置き換わることにでもなれば、運転手の仕事にも影響が出てきますね。
アメリカの失業率は現在、約4.7%で、リーマンショック直後の10%からは大きく回復しました。しかし、失業者は元の職には戻れずに転職しています。人を減らした分、ITで合理化したので戻る場所がないのです。合理化で失職した事務職が、清掃や介護などの分野に流れたために所得も下がっています。アメリカの所得中央値(100人中50番目の人の所得)は2000年以降下がりました。その一方でGDP(国内総生産)は上がっています。裕福な一部の人の所得が増え、中間層の所得が低くなってしまったというわけです。
このように、特化型AIでさえも、多くの職業を奪いつつあるのです。汎用型AIが実現したら、人間の仕事が根こそぎ奪われても不思議ではありません。
人類は、産業革命を繰り返して新たな工業製品を生み、雇用を増やし、生活を豊かにしてきました。ところが、ITやAIは生産を効率化して人手を減らす"革命"です。たとえば、ネット通販はお店が要らないばかりか、商品も効率よく調達できるので、町中からどんどん商店が消えています。
AI化の象徴的な事例がアメリカの自動車メーカーGM(ゼネラルモーターズ)とGoogleです。GMの社員数は現在約20万人。一方、Googleは約5万人ですが、時価総額はGMの10倍以上です。IT産業がいかに効率的か一目瞭然です。ちなみに、近年の世界の企業の時価総額ランキング上位には、Apple、Google、MicrosoftなどIT企業がズラリと並んでいます。
仕事が減っても幸せに暮らせる「ベーシックインカム」
これ以上、AIが進歩したら大変だと心配になったかもしれません。しかし、効率が上がるのは悪いことではありません。そこで私は経済学者として、仕事が減っても幸せに暮らせる方法を提案しているのです。その1つが「ベーシックインカム」です。
ベーシックインカムをひとことで言えば、すべての人に最低限の生活費を一律給付する制度です。現在の「子ども手当」に「おとな手当」もつけた「みんな手当」のようなもので、財源は税金です。まずは、1ヶ月1人1万円くらいから始めて、インフレが起きないように徐々に増やしていきます。1人7万円で年間の給付総額は100兆円程度になります。財源をどうするのか? その分、所得税や消費税を引き上げるのです。増税と給付のプラスマイナスで、理論上は差し引きゼロ。国民の所得は、低所得者はプラス、中階層はそのまま、富裕層はマイナスとなりますが、生活保護のような給付の選別が不要なので、国のコストはほとんどかかりません。
ベーシックインカムはデフレ不況にも効果がありますから、AIの進展にかかわらず、すぐにでも導入すべきだと思います。そうすれば、汎用型AIが普及する時代の備えにもなる。それを見越してスウェーデンは今年からベーシックインカムの社会実験を始めていますし、オランダやスイス、アメリカの一部の州でも導入が議論されています。
AIと共生する社会では新たな"問い"と向き合う人文社会科学が重要
ベーシックインカムの話をすると「働かない人生は幸せですか」と聞く人がいます。でも、労働は人間が本質的に求めるものなのでしょうか? 日本人も江戸時代はあまり働かなかったんです。それが明治維新以降、欧米に対抗するために儒教が広められ、勤勉をよしとする風潮が浸透しました。おかげで経済成長も成し得たわけですが、気がつけば働き過ぎで、そのわりには豊かさを実感できないでいます。余暇をエンジョイする欧米人にならい、日本人もそろそろ労働だけが人生ではないと気づくべきです。個人的には1日3時間程度、働くくらいが理想だと考えています。
今後社会にAIが浸透していっても、企画やデザインといったクリエイティブな仕事や複雑なコミュニケーション業務は、AIの力を借りつつも人間が担う時代が長く続くはずです。また、人文社会科学系の学問が廃れることもありません。むしろ、機械と人間が共生するなかで発生する「ロボットの罪は誰が責任をとるか」、「意識とは何か」といった新たな問いに実学的に向き合うことになる。その準備を今から始めておくべきです。
仕事が楽になる分、瞑想や坐禅のように心を落ち着かせて自分の中で満足を作り出すことが求められる時代になります。ぜひ、心豊かに過ごすため、自分自身の精神的な土壌を豊かにしてほしいですね。
- 井上智洋准教授
- 慶應義塾大学環境情報学部卒業、早稲田大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。博士(経済学)。2015年より駒澤大学経済学部で教鞭を執る。専門はマクロ経済学、貨幣経済理論、成長理論。著書に『人工知能と経済の未来』、『ヘリコプターマネー』ほか。
より良い未来の実現には、政治についても考える必要があります。
ということで次回は「政治コミュニケーションの現在」にタスキを繋ぎます!
- 駒澤大学ラボ駅伝とは???
- 「ラボ」はラボラトリー(laboratory)の略で、研究室という意味を持ちます。駒澤大学で行われている研究を駅伝競走になぞらえ、リレー形式で紹介する連載メディアです。創造的でユニークな研究を通して見える「駒大の魅力」をお伝えします。