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強風の時期、風向

アメダス糸魚川の風のデータを用いて、強風の事例をピックアップしました。7年10か月の短い期間ですが、最大瞬間風速20m/s以上が108例、うち25m/s以上が17例ありました。夏季は少なく、晩秋から冬そして春に発生しやすく、12月と4月に二つのピークがあります。25m/s以上に限ると、4月の発生頻度が最もたかくなっています。風向別にみると、南が最も多く、西南西が次に多くなっています。20m/s以上の北寄りの風は、北と北北西が1例ずつしかなく、北東や東はまったくありませんでした。風配図は南と西南西に偏ったものとなっています。

高層気象実況(2016年12月22日9時)

 糸魚川の西北西約94kmにある石川県輪島の高層気象観測の結果です。気象庁では1日に2回、風船にセンサーをつけて飛ばして、上空の気温や露点温度を計測しています。徐々に風に流されていきますが、その位置の変化から風向と風速を割り出します。22日9時の観測では高度2666~4230m付近の湿度が85%以上となっており、おそらくはこの高さに雲が広がっていたものと思われます。高度999~1477m付近は、風速が30m/s以上と非常に強い風が吹いています。右図は高度別の風ベクトルですが、上空ほど風向きが時計まわりに変化しているので、暖気移流であることがわかります。通常、風速は高さとともに増していきますが、22日9時の事例では、500hPa(5687m)や700hPa(3061m)の風速よりも、850hPa(1477m)の風速の方が強くなっています。つまり、大気下層で南西方向からの暖気の流入が顕著となっています。

日本海側のだし風

図中にマウスをもっていくと、局地風の矢印が表示されます。
 広範囲に強風が吹き荒れるような日に、局所的により風が強まる場所があることは昔から良く知られています。山形県の清川だし(庄内平野)や富山県の井波風(砺波平野)は、気候学の教科書に記載されています。新潟県下越地方の荒川だし安田だしも地元では良く知られた強風で、近年は、局地的強風にちなんだ町おこしイベントも行われているようです(ふるさとだしの風まつり)。
 関川だしについては、WEB検索にはかからないので、一般化した名称ではないようですが、一部の研究論文等で使用されています。特に糸魚川の強風について、「じもんの風(地物風)」「焼山おろし」「蓮華おろし」と呼ばれているようです。「じもん(地物)」は「地元特有の」という意味で、強風が局地的であることを示唆する名称です。富山県内の南風強風については、井波風の他に、庄川だし、庄川あらし、八乙女おろし、神通川おろし、くだりの風(沿岸部)、など、地域によってさまざまな名称があるようです。(背景は地理院地図)

糸魚川強風時の立体構造

糸魚川で延焼地域が拡大していた22日正午頃の断面模式図です。コンピューターを使った再現実験などはしていないので、頭の中のイメージを図化しただけの「妄想図」です。関東?中部の広範囲が南風の強風に見舞われたわけではなく、内陸では低温?北風が持続したところもありました。おそらく、南方からの暖気は、残存冷気の上に乗り上げる形だったのでしょう。フェーン現象を強風の原因として伝えたメディアも多かったようですが、実際のメカニズムは複雑なようです。また、地形の影響が局地的強風に及ぼす影響については、今後の研究で再現実験などが行われるものと思います。

過去の大火

文化3年(1806年)5月2日 大町大火 306棟全焼    
文化9年(1812年)11月8日 鉄炮町火災 27棟全焼    
文化11年(1814年)8月16日 七間町大火 508棟全焼    
文化13年(1816年)2月17日 横町大火 744棟全焼    
文政9年(1826年)6月20日 浜町大火 600棟全焼    
天保5年(1834年)4月20日 田町大火 548棟全焼    
明治10年(1877年)11月6日 横町大火 458棟全焼 西風 (気圧配置不明)
明治37年(1904年)8月3日 新屋町大火 459棟全焼 東風 東海沖台風?北上接近
明治41年(1908年)8月10日 寺町火災 42棟全焼 南風 東高西低?日本海低圧部
明治44年(1911年)4月22日 浜町大火 503棟全焼 西風 北海道北方低気圧
昭和3年(1928年)8月19日 緑町大火 105棟全焼 南風 台風接近
昭和7年(1932年)12月21日 横町大火 368棟全焼 西風 西高東低南偏高気圧
昭和29年(1954年)8月19日 緑町火災 42棟全焼 南風 台風5号西日本上陸
平成28年(2016年)12月22日 駅北大火 150棟全焼 南風 日本海低気圧暖域

全焼建物100棟以上の場合を「大火」と表現しました。

江戸時代より度々大火に見舞われていたようです。

糸魚川市史6(1984)、糸魚川市史昭和編2(2006)、糸魚川市史資料集(2007)を参考にしました。


 

過去の大規模火災について、火元の場所(×)と焼失範囲を地図化したものです。配色は現在から過去へ虹の配色で変えました(赤→橙→濃黄→黄緑→青)。明治までさかのぼると、駅北のかなりの範囲が過去にも火災に見舞われていたことがわかります。今回延焼したエリアにも、明治44年と昭和7年にも大火に見舞われたところがあるようです。糸魚川市史6(1984)、糸魚川市史昭和編2(2006)、糸魚川市史資料集(2007)を参考にしました。過去の延焼区域については、作図作業上のズレが生じている可能性があります。
大きい地図はこちら(背景は地理院地図)

復興にむけて

 今回の火災で被災された方には、お見舞い申し上げます。死者が出なかったものの、全財産を失って落胆されている方もいるでしょう。江戸時代創業の加賀の井酒造が焼けてしまったのは残念なことですが、銘酒復活に向けての新しい動きがあれば良いなと思っています。例えば、東日本大震災で津波被害を受けた岩手県のさいとう製菓も復活しました。銘酒?銘菓は、その味を覚えている消費者が一番の支えになると思います。江戸時代から続く割烹鶴来家も全焼してしまいましたが、プレハブ小屋で調理を再開し、えちごトキメキ鉄道リゾート列車「雪月花」の和食弁当も提供される見通しです。糸魚川駅の北口から海沿いの国道まで延焼してしまいました。ここを再開発して新しい集客ゾーンにしてみてはどうでしょう。津波で壊滅的被害を受けた宮城県女川町では、女川駅から港までまっすぐの遊歩道をつくり、にぎわい拠点として復興しました。糸魚川は東京直結の新幹線駅があるので、集客の工夫があれば、地域の活性化につながる可能性はあります。糸魚川市のふるさと納税が増えているとのことで、さまざまな形の支援がもうはじまっています。

 

このページは、大学の講義用資料として速報的に作成したものです。防災教育にご活用ください。